桃浦かき生産者合同会社の足跡

日本初の水産業復興特区として歩み始めた桃浦かき生産者合同会社。
設立までのさまざまな出来事には、多くの人々の想いがありました。
ふるさと桃浦の未来を拓くべく、今また新たな挑戦を続けています。

2011年の足跡

3月11日ふるさと桃浦の被害

●東日本大震災発生

5月水産特区構想とは

●村井宮城県知事が国の復興構想会議で「水産特区構想」を打ち出す

●桃浦漁業者が知事の水産特区を活用したいと意思表明

桃浦漁民の決心

堂々巡りの苦悩の中で、つかんだ一筋の光。

「一度は浜を海に返そうと思った。
その時、改めて芽生えた愛郷心。」

震災で壊滅的な被害に受けた桃浦地区。桃浦の漁民は大きな選択を迫られました。漁業の再開か、廃業か。かき養殖業者の平均年齢は61.8歳。後継者もなく投資までして再開はできません。「せめて浜をきれいにして海に返そう」と皆で浜のがれきを片付け始めました。「このまま桃浦はなくなってしまうのか…」誰からともなく出た声。ふるさとを守りたい。その想いは、どうしても消えないものでした。

「やりたいけど実際にはできない。
葛藤の中で知った水産特区構想。」

漁業を再開すれば、桃浦を残すことができる。しかし再開には多額の投資が必要で、補助制度を利用しても一人当たり500~1,000万円の自己負担(借金)をしなければなりません。生きている間に返済できないという現実、でも桃浦を守りたい…。堂々巡りの苦悩が続く中、宮城県知事が水産復興特区を提唱。「これだ!!これしかない!」悩み抜いた桃浦の漁民は、決意を持って特区の活用を表明しました。

12月

●国が復興特区法(水産業復興特区法)制定